ざざっと読了しました。
阿川佐和子/大塚宣夫
『看る力 アガワ流介護入門』文春新書 2018年6月 文藝春秋
阿川佐和子氏となれば対談。
今回はテーマが "介護" ということで、「豊かな最晩年を提供する」という言葉を掲げる病院長との対話。
阿川弘之氏(作家。阿川佐和子氏父でもある)がお世話になった病院とのことで、共通の体験、話題があるせいか、具体的な介護に関するノウハウを聞き出すというよりは、「こんなですね~」といった感じで、明るく話が進んでいきます。
その中で、「え、そうなの?」と思い、二度読みしたのは、大塚院長のこの言葉でした。
「これは民族性の問題なのかもしれませんが、日本人は孤独に耐えられない。外部の人が来て面倒を見てくれても、一日のうちせいぜい三、四時間で、そのほかの時間は一人でぽつんとしてるわけですよ。(中略)それが寂しいんですね。日本人はやっぱり人の顔が見えるというか、人の気配がするところでなければ暮らせないと思います。」 122p
このあと、本はヨーロッパの老人との比較へと話を移していきますが、どうも日本人は、近くにいなくても、同一空間内に人が動いている気配(パタパタとしたスリッパの音とか、ドアの開け閉めの音とかでしょうね)がないと落ち着かないということのようです。
確かに、何か音がしているほうが落ち着くという話はあります。
しかしです。
猫店主個人は基本、平気。
というか、病院の4人部屋はダメなほうの人間です。ちょっと近すぎに感じています。それが苦手で、42℃の熱で病院に行ったときに先生から「入院する?」と言われた際、「家で寝ます」と即答したことも。
まあ、作業でカンヅメになって誰とも会話しない日が数日以上続けば、さすがに自己存在の危機を感じて多少ヘコみますけれども、2~3日なら全然ひとりで平気です。
最近は漠然と、いつからとは分からないけれど、1人でいることが基本形になっている人は増えているのではないのかなあと感じます。なので、大塚院長が「孤独に耐えられない」と断言されるような人たちと、そうでもない人たちが混在しているのではないでしょうか。
1人でいることができない人は、恐らく、1人で平気な人がいるとは全く思っていない。だって、あり得ないことだから。
そして、そういう人が発する言葉は、ひとりが平気な人にとっては「何を言われているのか分からない」となりがち。この断絶、結構、深いような気がしています。
蛇足ですが、我が家の後期高齢者のおばばさまも同書を読みました。
その感想はただ一言、「老後の沙汰は金次第」と。
いや、それを言っちゃあ(涙)。ここにも断絶か。